伊達直人さんの視聴者投稿、

「ウズベキスタン・リシタン地区と姉妹都市提携するなら、過去を清算してからにしろ」

という投稿について調べてみました。

今回の投稿は、伊達直人さんから寄せられたものです。

投稿では、第二次世界大戦後、旧ソ連によって多くの日本人が強制的に連行され、シベリアや中央アジア各地で過酷な抑留生活を送った歴史が取り上げられています。

そして、舞鶴市が姉妹都市提携を結んだウズベキスタン・フェルガナ州リシタン地区について、

姉妹都市提携を進める前に、抑留者への追悼や歴史の整理が必要ではないか

という問題提起がなされています。

非常に重い内容です。

そこで今回は、投稿内容をそのまま紹介するだけでなく、公的資料を確認したうえで、私なりに考えてみたいと思います。


ウズベキスタンには約2万5,000人の日本人が送られた

舞鶴市自身も、戦後、旧ソ連によって約2万5,000人の日本人がウズベキスタンへ抑留された歴史を、同国との交流の背景として紹介しています。

舞鶴市とウズベキスタンとの交流は、日本人抑留者に関する資料館との交流をきっかけに始まり、その後、東京オリンピックのホストタウン交流や日本語教育、人材育成などへ発展しました。(舞鶴市公式サイト)

つまり、抑留の歴史は、今回の姉妹都市提携とは無関係な昔話ではありません。

むしろ、舞鶴市とウズベキスタンとの交流の出発点そのものです。


ウズベキスタンで亡くなった日本人は812人

厚生労働省の資料によると、ウズベキスタンで抑留中に亡くなった日本人は、

812人

です。

厚生労働省は、ウズベキスタンについて、

項目人数・状況
戦没者数812人
収容された遺骨0柱
未収容遺骨812柱
把握されている埋葬地国内13か所

と整理しています。

さらに、厚生労働省が2026年2月に公表した資料でも、2025年12月末時点で、戦没者812人、収容遺骨0柱、未収容遺骨812柱とされています。(厚生労働省)

これは推測でも伝聞でもありません。

厚生労働省が死亡者名簿と遺骨収集事業の資料を公表している、公式に確認された歴史的事実です。

812という数字の向こうには、812人それぞれの名前、家族、人生があります。

戦争が終わった後も日本へ帰ることができず、遠い異国の地で亡くなった人たちです。


遺骨収集は現在も実現していない

厚生労働省は、ウズベキスタン国内に13か所の埋葬地情報を保有している一方、宗教上の理由などから、現地での遺骨収集の許可が得られていないと説明しています。

そのため、資料上は812人全員の遺骨が未収容という状態です。

日本政府とウズベキスタン政府の間では、遺骨や埋葬地をめぐる協議が行われていますが、少なくとも厚生労働省の最新資料を見る限り、遺骨収集は実現していません。(厚生労働省)

投稿にある、

日本に帰れない遺骨が今も残されている

という問題意識には、公的資料による裏付けがあります。

ただし、厚生労働省の資料から確認できるのは、ウズベキスタン国内全体の状況です。

812人全員がリシタン地区に埋葬されているという意味ではありません。

リシタン地区内に、どの埋葬地があり、何人が埋葬されているのかについては、舞鶴市が今後、具体的に調査し、市民へ説明すべき事項だと思います。


ソ連は日ソ中立条約に違反して対日参戦した

太平洋戦争中、日本軍による非人道的な行為や、アジア各地に被害を与えた歴史があったことは事実です。

その事実を否定するつもりはありません。

日本軍の占領や戦闘によって被害を受けた国や地域との間では、立場や歴史観によって、表現や評価が異なることもあるでしょう。

しかし、旧ソ連との関係は、それだけでは整理できません。

日本とソ連の間には、1941年に締結された日ソ中立条約がありました。

外務省は、ソ連が当時まだ有効だった日ソ中立条約に違反し、1945年8月9日に対日参戦したと明確に説明しています。(外務省)

そして、戦闘や武装解除の後、多数の日本人が旧ソ連領内などへ移送され、長期間の強制労働を課されました。

ここで重要なのは、

日本にも加害の歴史があった

という事実と、

旧ソ連による参戦と強制抑留に重大な問題があった

という事実は、両立するということです。

一方を認めたからといって、もう一方が消えるわけではありません。


舞鶴市職員の回答は論点のすり替えではないか

投稿者は、舞鶴市役所へ問い合わせた際、担当職員から、

「日本人も戦争中に非人道的な行為を行ったではないか」

という趣旨の回答を受けたと証言しています。

投稿者は担当者名も確認しており、発言者を特定できる状態とのことです。

もちろん、日本が戦時中に行った行為を検証することは必要です。

しかし、ウズベキスタンでの日本人抑留や812人の死亡について質問された際に、日本側の加害行為を持ち出すことは、回答になっているのでしょうか。

これは、

「日本も悪かったのだから、旧ソ連による抑留の問題は追及するな」

とも受け取られかねません。

しかし、歴史は相殺できません。

日本が行った行為に問題があれば、その問題を検証する。

旧ソ連による強制抑留に問題があれば、それも検証する。

両方を個別に、正面から扱うべきです。

特に舞鶴市には、引揚げと抑留の歴史を後世へ伝える舞鶴引揚記念館があります。

その舞鶴市の職員が、市民から抑留について質問された際に、このような回答をしたのであれば、歴史認識以前に、市民への説明として非常に不適切だったと私は思います。

舞鶴市に確認したいのは、次の点です。

「日本人も非人道的な行為を行った」という説明は、舞鶴市の公式見解なのでしょうか。
それとも、担当職員個人の見解なのでしょうか。

ここは曖昧にしてはいけません。


舞鶴市とリシタン地区は2026年5月27日に姉妹都市提携

舞鶴市議会は2026年3月27日、リシタン地区との姉妹都市締結に関する決議を全会一致で可決しました。

その後、2026年5月27日、鴨田秋津市長を含む舞鶴市代表団がリシタン地区を訪れ、現地で姉妹都市締結協定書へ署名しました。(舞鶴市公式サイト)

舞鶴市の説明では、今後の交流として、

  • 日本語教育
  • 留学生の受け入れ
  • 産業技術
  • 介護福祉
  • 農業
  • 人材育成

などが挙げられています。(舞鶴市公式サイト)

交流そのものを否定するつもりはありません。

国や地域を越えて人と人が交流することは、将来の平和にもつながります。

しかし、交流の原点に日本人抑留の歴史がある以上、華やかな友好交流や人材交流だけを強調するのは違うのではないでしょうか。


「謝罪」を求めるべきなのか

投稿では、リシタン地区側の謝罪がなければ姉妹都市提携はあり得ない、という強い主張がなされています。

この気持ちは理解できます。

812人が亡くなり、現在も遺骨が帰国できていない以上、何事もなかったかのように友好だけを語ることへの違和感は当然です。

一方で、当時、日本人を抑留した国家主体はソビエト連邦です。

現在のウズベキスタンは1991年に独立した国であり、現在のリシタン地区長個人が、旧ソ連政府の行為について直接責任を負う立場かどうかは、慎重に考える必要があります。

また、当時のウズベキスタン住民自身もソ連体制の下に置かれていました。

そのため私は、現在のリシタン地区長に一方的な謝罪を要求することよりも、まず次のことを求めるべきだと考えます。

  • 日本人抑留の歴史を双方が公式に確認する
  • 亡くなった812人を共同で追悼する
  • 埋葬地と遺骨の現状を明らかにする
  • 慰霊碑や追悼施設の有無を調査する
  • 遺骨収集や墓地保全について協議する
  • 引揚記念館と連携して次世代へ歴史を伝える

これらを行わず、友好、人材交流、留学生、介護人材の確保だけを前面に出すのであれば、歴史を都合よく利用していると言われても仕方がありません。


調印式の前に慰霊や献花は行われたのか

投稿では、

調印式を舞鶴引揚記念館で行うべきだった

という意見も出されています。

実際の署名式はリシタン地区で行われました。

現地で署名すること自体には、外交儀礼上の意味があるでしょう。

ただし、舞鶴市代表団が今回の訪問中に、

  • 日本人墓地を訪問したのか
  • 献花や黙とうを行ったのか
  • 埋葬地や遺骨について協議したのか
  • 慰霊碑の建立について話し合ったのか

これらについては、市民へ詳しく説明する必要があります。

舞鶴市の公式発表では、署名式や交流の経緯は紹介されていますが、抑留中死亡者の追悼や遺骨問題について、十分な説明があるとは言えません。(舞鶴市公式サイト)


舞鶴市に確認したいこと

私は、今回の投稿を受けて、舞鶴市に次の事項を明らかにしてもらいたいと思います。

1.リシタン地区に日本人の埋葬地はあるのか

あるのであれば、場所、人数、現在の管理状況を公表してください。

2.市長訪問団は慰霊や献花を行ったのか

行っていないのであれば、その理由も説明してください。

3.遺骨収集について協議したのか

厚生労働省の資料では、812柱すべてが未収容です。

姉妹都市として、舞鶴市ができる協力はないのでしょうか。

4.慰霊碑や追悼事業を検討しているのか

友好交流の出発点が抑留の歴史ならば、追悼を交流の柱に加えるべきです。

5.職員の発言は市の公式見解なのか

「日本人も非人道的な行為を行った」という回答が、市の認識なのか、職員個人の発言なのかを明らかにしてください。

6.引揚記念館は姉妹都市交流にどう関わるのか

舞鶴には、抑留と引き揚げの歴史を世界へ伝える施設があります。

単なる展示施設にせず、今回の交流にこそ生かすべきです。


私の意見

私は、ウズベキスタンやリシタン地区との交流そのものに反対しているわけではありません。

むしろ、本当の友好関係を築くためには、過去の歴史を隠さず、双方が向き合うことが必要だと思います。

友好とは、都合の悪い歴史を忘れることではありません。

そして、過去の責任を現在の住民へ一方的に押し付けることでもありません。

必要なのは、

何が起きたのかを確認し、犠牲者を追悼し、二度と同じことを繰り返さないと双方で誓うこと

です。

812人が亡くなったという歴史を交流の入口として利用しながら、姉妹都市になった後は、抑留や遺骨の問題に触れない。

それでは、亡くなった方々にも、そのご家族にも説明がつきません。

舞鶴市は、引き揚げのまちです。

だからこそ、ほかの自治体以上に、抑留の歴史へ真剣に向き合う責任があります。


結論

ウズベキスタンでは、812人の日本人が抑留中に亡くなりました。

現在も、厚生労働省の資料上、812柱すべての遺骨が未収容です。

その歴史を交流の原点としながら、追悼、埋葬地、遺骨収集について十分に説明しないまま、姉妹都市提携だけを華やかに宣伝してよいのでしょうか。

私は、姉妹都市提携を否定するのではなく、むしろ本物の友好関係にするために、

過去を確認し、犠牲者を追悼し、未来へ伝える仕組みを作るべきだ

と考えます。

舞鶴市には、友好という言葉だけで歴史にふたをするのではなく、812人の死と、今も帰国できない遺骨に正面から向き合っていただきたい。

それが、引き揚げのまち・舞鶴が果たすべき役割ではないでしょうか。

私の個人的な考え

私は、平和交流そのものを否定するつもりはありません。

国や地域を越えて人と人が交流し、互いの文化や歴史を知ることは大切です。

しかし、今回は単なる文化交流や友好訪問ではありません。

「姉妹都市」になるということです。

姉妹都市とは、継続的かつ公式な関係を結ぶものです。

だからこそ、交流の背景にある歴史的事実を十分に確認しないまま進めることには、慎重であるべきだと考えます。

ウズベキスタンでは、旧ソ連による抑留の中で812人の日本人が亡くなりました。

しかも、この問題は単なる過去の出来事ではありません。

旧ソ連を構成していた国々との関係では、歴史認識が将来の国家間政治に利用される可能性もあります。

自治体同士の交流として始めたつもりでも、後になって外交的、政治的な意味を持たされることは十分に考えられます。

舞鶴市には、そこまでの外交的判断や責任を背負うのは荷が重いのではないでしょうか。

本来、こうした歴史問題を伴う交流は、国や外務省、厚生労働省などと十分に連携したうえで進めるべきです。

舞鶴市だけの判断で前のめりに進めるべき案件ではありません。

さらに今回の交流では、

  • 日本語教育
  • 留学生の受け入れ
  • 介護や産業分野の人材育成
  • 将来的な就労

といった話が並んでいます。

そのため、純粋な友好交流というよりも、留学生の受け入れを入口に、将来の労働者を確保したいという思惑も見え隠れします。

人口減少や人手不足への対応が必要なのは理解できます。

しかし、その目的のために抑留の歴史を交流の物語として利用し、姉妹都市提携まで進めるのであれば、私はやりすぎだと思います。

必要なのは、まず限定的で透明性のある交流です。

文化交流や資料館同士の交流、学生交流などから始め、歴史認識、費用、受け入れ人数、就労との関係、市民への影響を検証する。

そのうえで、本当に姉妹都市提携が必要なのかを判断すべきでした。

平和交流に賛成することと、無条件に姉妹都市提携へ賛成することは別です。

私は、

平和交流は進めてもよい。
しかし、歴史問題と労働力確保の思惑を抱えたまま、自治体が姉妹都市関係まで結ぶことには慎重であるべきだ。

と考えます。

舞鶴市に必要なのは、国際交流を大きく見せることではありません。

歴史的事実を無視せず、市民に目的とリスクを説明し、舞鶴市の責任能力を超えない範囲で交流することです。

今回の姉妹都市提携は、友好という聞こえのよい言葉だけで進めるには、あまりにも背景が重い。

舞鶴には荷が重く、少し踏み込みすぎたのではないか。

これが私の率直な意見です。

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