なぜ私は「やばいぜ舞鶴」を始めたのか?——ひとりの市民の声から始まった物語

きっかけは、2019年。
西舞鶴の喜多地区に計画された「パーム油火力発電所」の問題でした。
海外から輸入したパーム油を燃やせば「環境にやさしい発電ができる」というのが、事業者のうたい文句でした。
しかし実際には、燃やすたびに舞鶴の大気汚染や環境破壊が進むだけでなく、
パーム油の生産国では熱帯雨林が伐採され、大規模なプランテーションに置き換えられることで、
貴重な生態系や豊かな自然が失われていくという、国際的な環境問題もはらんでいました。

私は住民として、この計画に強い危機感を持ち、反対の声を上げました。
ところが、行政は耳を貸すどころか、事業者に寄り添い、市民の不安には背を向けたのです。

市議会議員、府議会議員、そして国会議員にも陳情を重ねました。
けれど、多くは門前払い。中には「もう決まった計画に反対しても無駄だ」と説得してくる議員もいました。

唯一、手を差し伸べてくれたのは共産党や環境NGOの方々でした。
ところが今度は、「あいつは左翼だ」「政治的だ」とレッテルを貼られ、
市民運動そのものが分断と偏見の対象にされていったのです。

私は問い続けました。

なぜ、市民がまちの未来を心配して声を上げるだけで、
「反対派」や「左翼」扱いされなければならないのか?

なぜ、行政は市民を“都合のいいとき”だけ利用し、
本当に困ったときには“お上に逆らう者”として切り捨てるのか?

ここで、私ははっきりと感じました。

舞鶴には、右でも左でもなく、
「中道」の市民の声が必要だ。

既存の政党やイデオロギーに頼ることなく、
利権にも忖度にも左右されない、
まっすぐな“生活者の立場”からものを言う市民活動の場が必要だと。

「せめて一人くらい、市民の立場で、裏表なく動く人間がいてもいいんじゃないか」

その思いが原点となって生まれたのが
**『やばいぜ舞鶴』**です。

これは、批判のためのメディアではありません。
声が届く社会、まちの課題を可視化する仕組み、行動する市民を育てる“物語”の発信地です。

政党にも、行政にも依存しない。
けれど決して孤立しない。
市民とともに学び、考え、つながっていく——
それが「やばいぜ舞鶴」の願いです。
声が届く社会、まちの課題を可視化する仕組み、行動する市民を育てる“物語”の発信地です。