
姉妹都市交流なのか、それとも労働力確保なのか
新たな資料を入手しました。
私はこの資料を見て、正直、約2万5,000人の日本人抑留者、そして抑留中に亡くなった812人の日本人の方々に、申し訳ない気持ちになりました。
なぜなら、舞鶴市とウズベキスタン・リシタン地区との姉妹都市交流について、これまで「戦後抑留の歴史」「引き揚げのまち舞鶴」「友好交流」という言葉で説明されてきた一方で、今回の資料を見ると、実態としては舞鶴市内企業の労働力確保策ではないのかという疑問が強まったからです。
資料には、近畿職業能力開発大学校京都校の修了式について記載されています。令和6年3月19日、舞鶴グランドホテルで修了式が行われ、リシタン地方からの留学生が修了し、令和6年4月から舞鶴市内の企業に就職することが紹介されています。
就職先として記載されているのは、株式会社マイギ、林ベニヤ産業株式会社舞鶴工場、萬工業株式会社の3社です。事業内容は、プラント保守・保守工事、合板の製造・販売、輸送用機器具の製造などです。
もちろん、外国人留学生が舞鶴で学ぶこと自体を否定しているわけではありません。
しかし、もしこのウズベキスタンとの姉妹都市連携が、実質的に外国人労働者確保のための仕組みであるならば、それは市民にきちんと説明し、相談する必要があります。
姉妹都市交流という名目で進めながら、実態としては市内企業への人材供給であるなら、市民が知らないところで地域の労働政策が進められていることになります。
これは単なる国際交流ではありません。
地域の雇用、賃金、人口政策、企業支援、地域社会のあり方に関わる重要な問題です。
私は、外国人労働者の受け入れには反対です。
なぜなら、人手不足を理由に外国人労働者に頼る前に、まず舞鶴市内でやるべきことがあると思うからです。
地元の若者が働き続けられる賃金をつくること。
市内企業の待遇改善を支援すること。
高齢者や子育て世代が無理なく働ける仕組みを整えること。
市外へ流出している税金や仕事を市内に戻すこと。
そうした努力を十分にしないまま、外国人労働者の受け入れに頼るのは、根本的な解決ではないと思います。
もし舞鶴市が本気で外国人労働者の受け入れを政策として進めるのであれば、堂々と市民に説明すべきです。
「姉妹都市交流です」
「友好交流です」
「歴史をつなぐ取り組みです」
という美しい言葉だけで進めるのではなく、
「市内企業の人手不足対策として、外国人材の受け入れを進めます」
とはっきり説明し、市民の賛否を問うべきです。
問題は、そこにわざわざ戦後抑留の歴史を重ね、引き揚げのまち舞鶴や友好交流という言葉で包んでいるように見えることです。
ウズベキスタンには、戦後、旧ソ連によって連行された日本人抑留者が過酷な労働を強いられ、多くの方が亡くなった重い歴史があります。
舞鶴市は、引き揚げのまちです。
だからこそ、この歴史を軽々しく「友好交流」や「美談」の材料にしてはいけないと思います。
もし目的が国際交流なら、歴史への向き合い方を丁寧に説明すべきです。
もし目的が人材確保なら、抑留の歴史を持ち出す必要はなかったはずです。
今回の資料を見る限り、リシタン地方からの留学生が舞鶴で学び、舞鶴市内企業へ就職する流れが明確に存在しています。
であれば、市民が問うべきなのは、次の点です。
これは本当に姉妹都市交流なのか。
それとも、市内企業の労働力確保策なのか。
外国人労働者受け入れ政策なのか。
そして、なぜその説明に、抑留という重い歴史を絡める必要があったのか。
私は、外国人の方々個人を批判しているのではありません。
問題にしているのは、行政の説明の仕方です。
美しい言葉で包めば、すべてが正当化されるわけではありません。
国際交流、歴史継承、人材確保、外国人労働者受け入れ。
それぞれはまったく別の政策です。
しかし、それぞれを混同してしまうと、市民には本当の目的が見えなくなります。
舞鶴市は、リシタン地区との姉妹都市交流について、きれいな言葉だけではなく、実態を正直に説明すべきです。
姉妹都市交流なのか。
歴史継承なのか。
労働力確保なのか。
外国人労働者受け入れ政策なのか。
ここを曖昧にしたまま進めるから、市民の違和感が生まれるのです。
舞鶴市は、引き揚げのまちです。
だからこそ、歴史を都合よく使うのではなく、歴史に誠実であるべきです。
そして、市民の暮らしや地域の雇用に関わる政策なら、行政だけで勝手に進めるのではなく、市民に説明し、市民と相談してから進めるべきです。

