
伊達直人さんの投稿です。
歴史を紐解くと、1945年、昭和20年8月15日、日本がポツダム宣言を受諾し、玉音放送で国民に降伏が伝えられて、第二次世界大戦が終結しました。
この状況下において、旧ソ連は北海道を占領する計画を立て、日本がポツダム宣言を受諾した後の8月28日に北方四島、国後島、択捉島、色丹島、歯舞群島に侵攻し、9月5日までに4島すべてを占領したのです。
ロシア政府は80年が過ぎた今も、4島は自国の領土であると主張しています。
また旧ソ連は、日ソ中立条約を破棄して満洲やサハリン、樺太などに侵攻し、武装解除した日本兵や民間人、約57万5千人を拘束して、シベリアなど各地の収容所へ連行し、過酷な強制労働に従事させたのです。
その57万5千人のうちの約2万5千人が、ウズベキスタンの捕虜収容所に送り込まれました。
ウズベキスタンの山間部では、最低気温が氷点下30度以下になる日もあります。
氷点下20度でバナナがカナヅチになるレベルです。
ろくな食事も与えられず、シャワーを浴びることができたのも月に1〜2回程度だったとのことです。
日本人抑留者の死亡原因は、極寒の環境下での栄養失調や過労による衰弱死、伝染病などでした。
これから話すことは、抑留体験者の証言です。
お腹がすいても食べる物がない。
飢えの極限状態に陥ってとった行動は、排泄物を水で洗って、食べられそうな物を再度、口に入れたという証言でした。
抑留体験者は平均年齢が100歳を超えておられ、非常に少なくなっています。
『生き証人』による直接の証言を聞くことが、今後ますます難しくなっていきます。
現代社会に生きる私たちに与えられた使命は、この歴史を次の世代に正しく継承していくことです。
家族を日本に残して異国で亡くなられた方々。
帰国しても、凍傷の後遺症から両足を切断した人。
また、死の恐怖から精神疾患を発症した人も多数いらっしゃったと聞きました。
私たちは、忌まわしい歴史で犠牲になられた方々に正面から向き合い、次の世代に史実を継承していかなければなりません。
また、この大戦で犠牲になられた方々の礎があって、今の平和があることを忘れてはいけないのです。
私たちは夏、涼しい部屋で食事ができ、お腹いっぱい食べることができます。
食べ残しても、咎められない生活環境です。
今まさに、過去を振り返る時期にきているのではないでしょうか。
6月3日から6月26日までの日程で、天皇、皇后両陛下は国賓としてオランダとベルギーを公式訪問されています。
オランダでは、アムステルダムの戦没者記念碑に供花され、第二次世界大戦の犠牲者を悼まれました。
その後、晩餐会に出席された陛下は、先の大戦に触れられて、友好親善を願う思いを述べられました。
私たちは絶えず謙虚に過去の歴史から学び、人々の痛みや悲しみに寄り添って耳を傾け、悲しみを繰り返さないよう悲惨な体験や苦労をあとの世代に伝えていかなければなりません。
このような日本皇室のご努力により、過去の歴史に向き合いながら友好親善が築かれていることを、鴨田市政も重く受け止めるべきです。
本来、国際交流や姉妹都市提携は、単に握手をして調印すればよいものではありません。
とりわけ、旧ソ連によるシベリア抑留、そしてウズベキスタンで亡くなられた日本人抑留者の歴史が関係するのであれば、まず史実を確認し、犠牲者に敬意を払い、市民に丁寧に説明することが必要だったはずです。
両国の歴史について十分な検証も、市民への説明もなく、また異国の地で亡くなられた方々に対して十分な敬意を払ったとは言い難いまま、姉妹都市提携の調印を進めたのであれば、法的な罪に問われるものではありません。
しかし、政治的・道義的責任は極めて重いのではないでしょうか。
歴史を無視した友好親善は、本当の友好親善とは言えません。
過去を直視し、亡くなられた方々に敬意を払い、その上で未来の交流を築いていく。
それこそが、本来あるべき国際交流の姿ではないでしょうか。


