
情報公開で明らかになったこと
市民オンブズマンまいづるは、
舞鶴市議会に対し、市職員による市議会議員へのハラスメント事案に関する一連の文書について、情報公開請求を行いました。
対象としたのは、
市議会が市に提出した申し入れ書、市からの回答文書、
さらに、申し入れに至る協議の経緯や、その後の再協議・検証に関する記録です。
あわせて、ハラスメントを受けたとされる市議会議員の氏名(実名)についても開示を求めました。
開示されたもの、開示されなかったもの
その結果、
申し入れ書や起案文書、市の回答書など、一部の文書は開示されました。
一方で、次の点については開示されませんでした。
被害を訴えた市議の名前は非公開
ハラスメントを受けたとされる市議会議員の氏名については、
「被害者のプライバシーに配慮する必要がある」として、非公開とされました。
協議や判断の記録は「存在しない」
さらに、
市議会内部でどのような協議が行われ、
どのような判断に至ったのかを示す記録については、
- 各派幹事会は非公開の会議であり、議事録は作成していない
- 再協議や検証に関する文書も存在しない
との説明がなされました。
何が分からないままなのか
この情報公開の結果、
- 誰が被害を訴えたのか
- 誰が、どのような議論を行い、どう判断したのか
という、最も重要な部分が、
市民には一切分からないままです。
この前提を踏まえたうえで、
次に問うべきなのは、
そもそも、この事案はどのような性質の問題だったのかという点です。
事案の性質 ― これは何が問題だったのか
本件は、単なる言葉の行き違いや、個人間の感情的なトラブルではありません。
問題となったのは、
市議会議員が、公務である一般質問の事前聞き取りの場において、市職員から威圧的、あるいは議決への圧力とも受け取れる発言を受けたと訴えた点にあります。
発言の内容は、
条例が否決された場合の行政運営への影響を強調するものであり、
受け取る側によっては、
「議決の結果次第で、今後の行政対応が制限される」
と示唆されたと感じても不自然ではありません。
これは、議員個人の感情の問題ではなく、
議会の自由な意思形成に影響を与えかねない行為です。
なぜ「ハラスメント以前の問題」なのか
仮に、市職員に強要の意図がなかったとしても、
問題が消えるわけではありません。
議会において重要なのは、
- 発言者の意図ではなく
- その言動が議員の判断や萎縮に影響を与えたかどうか
です。
特に、議決を控えた局面で、
行政側の職員が強い言葉で将来の不利益を示唆すれば、
それは議会制民主主義の根幹に関わる問題となります。
そのため本件は、
「ハラスメントか否か」という狭い枠にとどまらず、
行政と議会の力関係、健全な緊張関係が保たれていたのか
が問われる事案でした。
議会が正式に扱った「公的な問題」
この事案は、
被害を訴えた議員が個人的に抗議しただけのものではありません。
- 議会運営委員会が協議し
- 議会として正式に意思決定を行い
- 文書として市に申し入れを行った
という点で、
完全に「議会として扱った公的案件」です。
にもかかわらず、
その後の検証過程や判断の記録が残されていないこと、
被害を訴えた議員の氏名が一律に非公開とされていることは、
この事案の性質と明らかに釣り合っていません。
次に問われるべきこと
ここまでを踏まえると、
次に問われるのは、次の点です。
- なぜ、これほど重要な公的問題について
記録が作られなかったのか - なぜ、公務中の出来事であるにもかかわらず
被害を訴えた議員の名前が伏せられたのか - その判断は、
市民への説明責任を果たしていると言えるのか
記録を作らない議会は許されるのか
まず整理しておきたいのは、
「記録を作らなかったこと」が、直ちに違法と断定できるかどうか、という点です。
各派幹事会や非公式協議について、
議事録の作成を義務づける明確な法令が存在しない以上、
形式的には「違法ではない」とされる余地はあります。
しかし、ここで問われているのは、
違法かどうかではなく、市議会として妥当かどうかです。
市議会は公的意思決定機関である
市議会は、単なる任意団体ではありません。
- 市民の直接選挙によって選ばれ
- 公費によって運営され
- 行政を監視・統制する役割を担う
公的意思決定機関です。
その市議会が、
行政側の言動が議会の自由な意思形成に影響を及ぼしかねない事案を扱いながら、
その検討過程を一切記録として残さないという対応は、
公的機関としての基本的責務と整合しません。
記録がなければ、検証も評価もできない
記録を残さないということは、
- 誰が、どのような問題意識を持ち
- どのような議論を行い
- どのような判断に至ったのか
を、後から確認できないということです。
これは、
議会内部の問題にとどまらず、
市民が議会の判断を評価する手段を失うことを意味します。
説明責任とは、
「説明する意思がある」ことではなく、
説明可能な状態を制度として確保しているかにあります。
情報公開制度との関係
情報公開制度は、
「存在する行政文書」を市民が確認できる仕組みです。
裏を返せば、
文書が作成されなければ、公開の対象にもならない
という構造になっています。
今回のように、
重要な公的案件について
「記録を作成しない」という運用が許容されれば、
情報公開制度は、制度として形骸化します。
市議会自らが、
情報公開制度を実質的に無力化する行為を行っている点は、
看過できません。
「非公開」と「非記録」は別の問題
会議を非公開とすることと、
記録を作成しないことは、全く別の問題です。
- 非公開であっても
- 要点整理や決定事項を
- 記録として残すことは可能
むしろ、
非公開だからこそ、
後日の検証に耐える最低限の記録が必要です。
制度として残る危うさ
この対応が前例として残れば、
- 今後も
「非公開だから記録はない」 - 「文書がないので説明できない」
という処理が、
議会内部で常態化するおそれがあります。
それは、
議会の透明性だけでなく、
議会そのものの信頼性を徐々に損なう結果につながります。
まとめ
本件の問題は、
記録を作らなかったという一点にとどまりません。
- 公的機関である市議会が重大な公的問題を扱いながら判断過程を制度的に残さなかった
という点に、
構造的な問題があります。
この問題を曖昧にしたままでは、
同様の事案が起きたとき、
議会は再び説明不能な状態に陥ることになります。
被害者保護と公人の説明責任はどう整理されるべきか
本件において、市議会は
「被害者のプライバシー保護」を理由に、
ハラスメントを訴えた市議会議員の氏名を非公開としました。
被害者を守るという考え方自体は、否定されるべきものではありません。
しかし、被害者保護と説明責任は、同列ではなく、整理が必要な概念です。
市議会議員は「私人」ではなく「公人」である
まず前提として、
市議会議員は一般の市民とは立場が異なります。
- 公選によって選ばれた代表者であり
- 公費で活動し
- 公務として議会活動を行う存在
つまり、
公人としての地位と責任を負う立場です。
今回の事案は、
- 私生活で起きた出来事ではなく
- 公務(一般質問の事前聞き取り)中に発生し
- 議会として正式に取り扱われた案件
であり、
完全に公的領域の問題です。
公人の場合、原則は「公開」、例外が「非公開」
情報公開制度や判例の考え方において、
公人に関する情報の扱いは、次のように整理されています。
- 公務に関連する行為・被害
→ 公益性が高く、原則公開 - 私生活や人格領域
→ 例外的に非公開
今回の件で問われているのは、
市議会議員が「公務中に受けた圧力・ハラスメント」です。
したがって、
原則として公開の対象と考えるのが制度的に自然です。
「一律非公開」は被害者保護の説明にならない
本当に被害者保護を理由とするのであれば、
- 本人の公開意思を確認したのか
- 公開・非公開を選択する余地はなかったのか
- 部分公開や条件付き公開の検討は行われたのか
といった検討過程が必要です。
しかし今回の対応は、
- 一律に非公開
- 判断過程の説明なし
というものでした。
これは、
被害者の意思を尊重した結果なのか、確認できない
という点で、被害者保護としても不十分です。
実名が伏せられることで生じる別の問題
被害議員名を非公開とした結果、
- 誰が被害を訴えたのか分からない
- 議会内での受け止め方の違いが検証できない
- 議会としての判断の重みが評価できない
という状態が生じています。
これは、
被害者を守るどころか、
議会全体の説明責任を曖昧にする結果を招いています。
守るべきは「個人」か「制度」か
本件の扱いを見る限り、
守られているのが
- 被害を訴えた議員個人なのか
- それとも、議会や行政という組織なのか
判然としません。
少なくとも、
- 記録は残らない
- 名前も出ない
- 判断過程も説明されない
という処理は、
制度としての透明性を犠牲にしていると言わざるを得ません。
整理すると何が問題なのか
本件の問題点は、次の一点に集約されます。
被害者保護を理由に、
公人である議員の公務上の出来事まで
一律に非公開とした結果、
議会としての説明責任が果たされなくなっている。
これは、
被害者保護と説明責任のバランスを欠いた運用です。
次に必要な視点
この問題を解決するために必要なのは、
- 被害者保護を理由に
すべてを隠す運用ではなく - 公人としての説明責任と
どう両立させるかの基準作り
です。
それを行わない限り、
同様の問題は繰り返され、
そのたびに「分からないまま」処理されることになります。
市民として、何を問うべきか
ここまで見てきたとおり、
本件の問題は、
「ハラスメントがあったか、なかったか」
という一点に収れんするものではありません。
それ以前に、
- 情報公開をしても
誰が被害を訴えたのか分からない - 議会内部で
誰が、どのように判断したのか分からない - その理由として
記録は作られていない - 公人である議員の公務上の出来事であっても
一律に非公開とされる
という処理がなされていること自体が、
重大な問題です。
説明責任とは「説明する姿勢」ではない
説明責任とは、
「聞かれたら説明します」という態度のことではありません。
- 記録が残され
- 判断の過程が確認でき
- 市民が評価できる状態にあること
これがあって、初めて説明責任は果たされます。
しかし本件では、
- 記録は作られず
- 名前は伏せられ
- 判断過程も見えない
結果として、
市民は評価のしようがない状態に置かれています。
この処理が残す前例の重さ
もし、この対応が前例として固定されれば、
- 重要な問題でも
「非公開」「記録なし」で済む - 情報公開を請求しても
「文書は存在しない」と言われる - 誰も責任を負わないまま
次の問題へ進む
そうした議会運営が、
当たり前になっていきます。
それは、
議会が少しずつ
市民から見えない場所へ退いていくことを意味します。
問われているのは、議会の姿勢そのもの
市議会は、市民の代表機関です。
行政を監視し、
市民の声を代弁する立場にあります。
その議会が、
- 自らの判断を記録せず
- 市民が検証できない形で
- 重大な公的問題を処理してしまう
のであれば、
市民は何を基準に、
その議会を信頼すればよいのでしょうか。
結びに
本件は、
特定の議員や職員を糾弾するための記事ではありません。
問われているのは、
市議会が、これからも市民に対して
説明できる存在であり続けるのか
という一点です。
記録を残すこと。
判断を見える形にすること。
公人としての責任を自覚すること。
それは、
議会にとって負担ではなく、
市民の信頼を守るための最低条件のはずです。
この問題を曖昧に終わらせてよいのかどうか。
最終的に判断するのは、
私たち市民一人ひとりです。


