
源泉交遊さんからの投稿です。
中央図書館 建設問題は崩れ行く市政の“氷山の一角'’。
当局が「“夢’'のような図書館」として市民に喧伝していた政策は、とりわけ東舞鶴地区の市民には‘‘悪夢’'に過ぎなかった。
当局は市民の関心を高めようと「あれもこれも」とのご都合主義で図書館に対する”夢‘‘を市民に語りかけ、期待を膨らませたことは、結局中身が「何もない」からこそ語れたレトッリクに過ぎなかった。
それは詐欺師がターゲットに最終目的を告げないことに似て、被害にあって初めて気づくようなもので、詐欺師の最終目的が何であったかが解るようなものだが、それでは遅い。
だまされた後の祭りと言うものだ。
今般の当局の狙いは、図書館という’'箱“の建設にあったようだ。
当局と業者が密室で決めた図書館建設計画を市民に納得させるための手立てが「市民ワークショプ」であり「市民フォーラム」であった。
そして’'箱”を効率よく素早く仕上げるために、「中央図書館ありき」で、いわば出口の方から逆走するように議論の中身の展開を導いたために、無理を生じ、矛盾の中で暗礁に乗り上げるように苦しむこととなったようだ。
また、“ぷくぷくコンビ”(福田豊明副市長と福田伸一郎生涯学習部長)による、立場を利用した自らの私見を公器である「広報」を使って無責任にも市民に拡散したことは、「公報」の信頼を損なうものであり、ひては行政の信頼をも低めるものとなっている。「公報」の文書は、雑誌や小説とは異なり市民に対して“中正’'でなければならない。
であるのに、それが密室談義のバイヤスがかかった特定の人間の意向を色濃く反映するものであってはならない。にもかかわらず「公報」では、この節度は守られていなっかた。
広報には毎回「思い描く図書館づくり」として当局の夢を連載していた。
このこと自体が公平性を欠いた反市民的であり、まるでフェイクニュースの様でもあり、公報の編集 発行の責任にもつながることと思うのだが、どうだろうか。
つまり、記事の執筆者とともに編集 発行者も‘‘公人”としての資格を問われかねない事態である様にも思えてくるのは、思い過ごしすぎであろうか。
とにかく、「図書館」は市民のものであり、利用者のものである、この原則を忘れて、市民
(利用者)の声も聴かず“、東図書館を除去しようと唐突にしかも’'頭越し”に押し進めるのは、時代錯誤の“強権主義’'に他ならない、さしたる業績もなく、たまたま降って湧いたように名誉ある地位に就いた人のなかには、この幸運を自身の実力と勘違いして、担当の役割を自らの権限で好きなように如何様にでも出来るものと誤解してしまう人もあるようだが、それは‘‘瞬り’'の始まりだ。威厳を無理やり演出し、権力を握ることが自己目的化した人の中には、何のために権力を握るのか、何のためにこの地位があるのか、という目標や価値が蒸発してしまっている。
ただ権カゲームが面白くて夢中になっているかの様だ。
自身を過大評価している人は、この発想からなかなか抜け出せないことが、当市の政治(行政)が混乱している大きな要因の一つである。彼等は図書館行政の救世主なのか、ただの詐欺師なのか?

