
厳選交遊さんからの投稿です。
一般的に言って「おばかさん」と「おばかさん」が、コンビのように手を取り合って協力しても、‘‘賢者”になれるわけではありません。むしろ、そこには強力な「おばかさん」のほぐれ難い‘‘塊’'が出来上がるだけではないのでしようか?。
市の「広報10月号」によると、「思い描く図書館づくり」として“自動車図書館”の導入に向けた構想が掲載されていましたが、果たしてそれが当局の提唱する未来へのI希望の図書館」と言えるのでしょうか大いに疑問とするところです。
この自動車図書館構想は上から目線の計画です。
それはまるで養殖の鯉に餌を与えるように場所と時間を設定して餌を与えるようなものです。
勿論、餌のメニューは当局から与えられた限られたものになり、与えられる方(利用者)からの好みの選択は極めて限定的にならざるを得ません。
自動車に積める図書も図書館と比べて格段に縮小せざるを得ません。
これは自動車図書館の宿命です。
それは当局が提唱するI望ましき図書館」とはまるで逆方向となります。
つまり、当局が説明していた図書館とは全く異なり、いつでも時間の許すときに誰もが‘‘ふらりと立ち寄ることが出来る図書館'’、‘‘ゆったりとくつろげる図書館'’、そして“親子が語り合える図書館’'などなどではなくその正反対です。
この様に当局の語る手口は詐欺的です。
多分この某本構想[自動車による移動図書館構想」の根底には、昔の懐かしい紙芝居のようなものを思い浮かべていたのかも知れませんが、現代は子供も、塾や習い事、クラブ、ゲーム等忙しい時代です。まして大人は共働きも多く、厳しい経済梢勢の下、子育て、介護、生活など等でゆとりの時間すら見つけにくい時代です。
当局の予定に合わせなければならない自動車図書館は暇人の妄想でしかありません。当局は水あめも用意せずに拍子木をパンパンと嗚らしたら人は喜んで集まるとでも思っているのでしょうか。そういえば、子供が紙芝居を待ちどうしく楽しみにしていた時代の大人たちは、ラジオから流れる浪曲を楽しみにしていた人も多くいました。曲士がだみ声で「バカは~死ななきゃ~治らない~!」と・・・。子供たちもまねをしてよくこのはやり言葉を語って遊んだものです。
今になるとそんな時代が懐かしく思い出されますが、とにかく過去にも移動図書館がはやった時代もあったように思いますが、移動図書館が図書館に発展したことはあるかも知れませんが、Iれつきとした図書館」が移動図書館へと「発展」し成功した例は聞いたことがありません。
昔の情緒を懐かしむのは、それはそれで楽しいことですが、時代錯誤は頂けません。
この錯誤(方向違い)こそが当局の病根の一つと言えます。
当局が方向違いから抜けだせない理由の一つは、利用者を当局の合図で支配しようとする‘‘独裁者的性向”です。
これからの時代は利用者に寄り添い、利用者の利便性を第一に優先さければなりません。
滅多に利用したことのない高給取りのお役人が、深々と椅子に沈み込み、足を机の上えに投げ出して鼻毛を抜きながら周りをII卑l脱して、文字どおり“絵に描かいた餅(図書館)”を自画自賛しているのではとしたら、寒くなります。