
みんなお友達の「なれ合い議会」──舞鶴市議会は誰のために存在しているのか
舞鶴市議会で、議員定数削減をめぐる条例案が2本提出された。
提出日は 令和7年12月22日、採択は 12月24日。
わずか2日間である。
この時点で、もう結論は見えている。
市民に説明する気など、最初からなかった。
数字だけ違う、理由は同じ
提出されたのは以下の2案。
- 自民党会派:議員定数を 25人 → 24人(1人削減)
- 日本維新の会会派:議員定数を 25人 → 22人(3人削減)
一見すると「改革幅の違い」「対立構図」に見える。
しかし中身を見れば、違うのは数字だけだ。
条例の文体はほぼ同一。
提案理由は、どちらも驚くほど簡潔で、
議員定数を改めたい
それ以上でも以下でもない。
人口減少?
財政負担?
他市との比較?
議会機能への影響?
一切書かれていない。
会派の思想も、覚悟も、どこにもない
本来、会派が条例を出すというのは、
その会派の政治思想・価値観・覚悟を示す行為だ。
改革を売りにする 日本維新の会 なら、
- 人口減少社会における議会のスリム化
- 身を切る改革
- 市民負担の軽減
そうした言葉が並んで当然だろう。
一方、現実路線を取る 自由民主党 なら、
- 地域代表性の確保
- 合議制の維持
- 段階的見直し
そうした理屈が出てくるはずだ。
しかし、どちらの議案にも
思想も、根拠も、説明もない。
あるのは
「数字を変えたい」という結果だけ。
市民への説明? 議論? そんなものはない
提出から採択まで2日。
SNSでの説明も、呼びかけも、議会傍聴の動員もない。
特に不自然なのは、日本維新の会会派の沈黙だ。
彼らは、本気で通したい案件では、
- Facebookで連日投稿し
- 支援者に傍聴を呼びかけ
- 議場の空気すら戦術として使う
それが今回は 完全沈黙。
これは「たまたま」では説明できない。
本気で勝ちに行っていない案件だった、
そう考える方が自然だ。
これは対立ではない。役割分担だ
自民は「1人減らした実績」を残す。
維新は「3人減らす提案をした姿勢」を残す。
どちらも
- 通ってもいい
- 通らなくても困らない
大事なのは 結果ではなく履歴。
来年11月、選挙が近づいたときに、
こう言える材料を残すための議案だ。
「議員定数削減、ちゃんと議論しましたよ」
しかし、その「議論」は
市民不在の密室で終わっている。
これを「民主主義」と呼べるのか
市民は蚊帳の外。
説明もなく、議論もなく、静かに可決(あるいは否決)。
表では対立、裏では合意。
舞台の上では芝居、脚本は事前に完成。
これは改革ではない。
なれ合いだ。
舞鶴市議会 が
市民の代表機関だと言うなら、
まず市民に説明し、議論に巻き込むべきだった。
それをしなかった時点で、
この議会は自らこう宣言している。
「市民は見なくていい。決めるのは俺たちだ」と。
最後に
結果的に、議員定数削減は
自民党会派が提出した「1名削減」案に落ち着いた。
維新は3名削減を掲げたが、
本気で通す気配も、市民を巻き込む動きもなかった。
残ったのは「提案した」という履歴だけだ。
私は市民オンブズマンとして、3年間にわたり鴨田市政を調査してきた。
率直に言う。
議員がまともに仕事をしていたと感じたのは、最初の1年目だけだった。
その後、舞鶴市は少しずつ、しかし確実に悪化していった。
そして今、舞鶴市民の33%が低所得者層に入っている。
これは偶然ではない。
景気のせいだけでも、国のせいだけでもない。
その要因の一つが、間違いなく議会の責任だ。
チェックすべき政策をチェックせず、
問いただすべき行政を問いたださず、
市民の声を拾うこともなく、
「議論した感」だけを残してきた結果が、今の舞鶴だ。
はっきり言っておく。
問題は議員の人数ではない。
問題は、
市民の役に立たない議員が議席を占め続けていることだ。
定数を1人減らす前に、
やるべきことがある。
それは
仕事をしない議員を、政治の場から無くすこと。
舞鶴に必要なのは、
数合わせの改革ではない。
責任を果たす議会である。

