
源泉交遊さんの投稿です。
イタチは、敵に襲われると悪臭を放って逃げると言う。イタチは、窮地に立たされたと感じると攻撃的になって悪臭(屁)を放って相手を混乱させ、その間に素早く身を隠して逃げて行くと言う。これを世間では「イタチの最後っ屁(ぺ)」と言うそうです。
舞鶴市は、新年度から本格化する図書館再編整備のためとして、明細について説明の無いまま、予算に9億2 8 0 0万円を計上したと「京都新聞」(2月1 8日付け)の記事で明らかにした。しかし、上記の「京都新聞」には大見出しで出ていた記事の割には、他の新聞には記事にもなっていなかった。しかも「公報マイヅル」(3月号)にも、これに関連する記事は掲載されていない。公共の新聞に発表するからには、間違いの無い事実だとも思うが、市の「広報」にも他紙にも取り上げられていないことは、記事の信憑性に疑問の余地も感じられる。
“ぷくぷくコンビ‘‘達は、潰しの000と陰で言われていた前市長の’'おさがり’'であった。
前市長はカリスマ性の強い性格が売りではあったが、彼は何事も独善に走る性格があり、市民の感覚とは距離が出来、多くの市民に疑問にも思われて、先の市長選では四選を目指していたが、新人の現市長に敗れ、失意のうちに市長の席を明け渡す結果となったことは、今では市民の誰もが知っている事実である。そんな前市長のもとで、政治を学び行政の要領を学んだ優等生?が“ぷくぷくコンビ’'達であった。従って、‘‘ぷくぷくコンビ’'達は、上意下達の方程式には堪能であったが、逆に、周りの意見を聞く環境や度量に欠けている向きが観察される。其の結果、当市の「中央図書館整備計画」など様々な行政のあちこちに於いて、その弊害が顕著に見られるようになってきた。独善的な行政手法は独裁的な行政と背中合わせであり、独善を改めるべく意見を求めても当局の周りはすでにイエスマンばかりで、新しい知見は皆無となってしまっている。そんな中での未来を見据えたはずの上記「図書館再編計画」の発表である。すでに現行の「図書館整備計画」は矛盾を色々と抱えて漂流中で破綻寸前に追い込まれている。にも拘わらず当局は、既存の計画に固執するのは、失敗を認めた<ないからであり、殊に、自分が現役でいでる間に自分の失敗を認めたくないとの心情、そして後進達に指摘されまいとの思いが強く、計画の正当性を装ってまでも後進に引き継ぎたいとの思いもあり、加えて、自から手掛けた計画を自ら疑問視するようなことは金輪際否定しておきたいとの独善の心情もあり、その対策として公共の新聞を使って公表することで、正しい計画であったとの印象を演出するつもりでメディアに記事を提供したようだ。しかし、『京都新聞』以外のメディアは、そんな当局の都合の良い宣伝に与することなく沈黙を守っている。本質が読めず、現象の表面をなぞるような情報に踊らされるメディアもメディアである。論説委員が取り仕切る今般の記事は、当該新聞の信頼性にも関わる問題でもあると言えよう。今般のメディアヘの表明は、“ぶくぶくコンビ”達の「最後っ屁」なのかどうか?

