
2025年12月22日、鴨田秋津舞鶴市長が、
衝撃的なデータを自らの個人Facebookで公表した。
それは、舞鶴市が実施する物価高騰対策の説明の中で示された、
次の一文である。
「住民税非課税世帯および家計急変世帯に属する個人
約24,100人を対象とします」
舞鶴市の人口は約73,700人。
単純計算で、市民の約3人に1人が
「低所得者」として支援対象に位置付けられていることになる。
これは推測でも、誇張でもない。
市長自身が定義し、市長自身が数字を出し、
市長自身の言葉で公表した事実である。
市長は投稿の中で「貧困」という言葉を使っていない。
しかし、住民税非課税・家計急変世帯という区分は、
行政制度上、生活困窮層=貧困層と同義だ。
つまりこの投稿は、
舞鶴市では、市民の約3人に1人が
制度上「貧困」と扱われる状態にある
という現実を、
市長自らが全国に向けて発信したことを意味する。
これは「支援策の紹介」などという生易しい話ではない。
舞鶴という街の危機的な構造を、市長が自白した瞬間である。
🔥「全ての市民への支援」という大ウソ
まず、はっきりさせておく。
今回の発表は
「全ての市民への支援」などではない。
これは言葉遊びであり、
現実をごまかすためのレトリックだ。
無償で配られるのは誰か
- 子育て世帯:2万円
- 低所得者:5,000円分の商品券
それ以外の市民は?
- 1万円を出して、1万5千円分の商品券を「買える権利」
- 水道基本料金の一部免除(世帯構成で恩恵に大差)
これは支援ではない。
「余裕のある人だけが使える制度」だ。
お金がない人ほど、
- 商品券を買う余裕がない
- 水道代軽減の恩恵も限定的
つまり、
貧しい人ほど、救われにくい設計
になっている。
それをまとめて
「全ての市民への支援」と呼ぶのは、
誤魔化し以外の何物でもない。
🔥 3人に1人が低所得なのに、なぜ危機感がゼロなのか
冷静に考えてほしい。
市民の約3人に1人が
住民税非課税・家計急変という
制度上の低所得層に該当する街。
これはもう
「一部の弱者」
「コロナ後の一時的影響」
などというレベルではない。
街そのものが壊れかけている数字だ。
にもかかわらず、
- 緊急宣言なし
- 危機対応本部なし
- 中長期戦略の提示なし
あるのは
5,000円の商品券だけ。
正直に言おう。
この数字を出して平然としていられる感覚こそが、最大の問題だ。
🔥 企業誘致・移住政策は「死文化」した
この投稿が出た瞬間、
舞鶴市がこれまで積み上げてきた
- 企業誘致
- 移住促進
- 人材確保
- 定住人口対策
は、すべて根底から疑われることになった。
なぜなら、外から見ればこうだからだ。
- 市民の3人に1人が低所得
- 消費力が弱い
- 賃金水準が低い
- 若者が定着しない
- 対策は一時金レベル
これで、どの企業が
「ここに本社機能を置こう」
「生産拠点を作ろう」
と思うのか。
どの若い家族が
「ここで将来設計をしよう」
と決断するのか。
市長自ら、政策の前提を壊したのである。
🔥 問題は貧困ではない 問題は「麻痺」だ
繰り返す。
貧困が存在すること自体は、
恥でも失政でもない。
だが、
貧困が蔓延している数字を前にして、
それを「通常運転」で発信してしまうこと
これは完全に異常だ。
危機を危機として認識できない。
だから、
- 小手先の給付
- その場しのぎ
- 先送り
しか出てこない。
これはもう政策論ではない。
統治能力の問題である。
🔥 市民は「支援される側」ではなく「説明を受ける側」だ
最後に、最も重要な点を書く。
市民は、
- 商品券をもらって黙る存在ではない
- 「ありがたい」と言うためにいる存在でもない
なぜ、ここまで貧しくなったのか。
いつから、誰の判断で、何が失敗したのか。
そして、どう立て直すのか。
この説明を受ける権利がある。
それをせずに
「第一弾です」「第二弾があります」
と続けるのは、
責任の分割払いであり、
問題の先送りにすぎない。
想定反論と、そのすべてに対する答え
この記事が出れば、必ず次の反論が飛んでくる。
しかし、どれもすでに論理的に破綻している。
反論①
「住民税非課税=貧困と決めつけるのは乱暴だ」
▶ その通り、“決めつけ”なら問題だ。
だが、これは決めつけではない。
住民税非課税・家計急変世帯とは、
- 行政が公式に
- 給付金
- 減免
- 優先支援
の対象とする、生活困窮層である。
つまり、
「貧困」と評価しているのは市民でもオンブズマンでもない。
行政自身である。
しかも今回は、
その人数を市長自らが24,100人と公表した。
これを
「貧困ではない」
と言うなら、
ではなぜ、低所得者支援として給付をするのか?
説明がつかない。
反論②
「高齢者が多い街だから数字が大きく見えるだけだ」
それは言い訳にすぎない。
高齢者が多いことは、
昨日今日に始まった話ではない。
問題は、
- なぜこれほど低年金の高齢者が多いのか
- なぜ若い頃の所得が低かったのか
- なぜその構造を放置してきたのか
という政策の結果だ。
高齢化は自然現象だが、
低年金・低所得の集中は政策の帰結である。
高齢者を盾にするのは、
問題から目を逸らす行為にほかならない。
反論③
「全国どこでも同じような状況だ」
では聞く。
他の自治体の市長が、
「市民の3人に1人が低所得」と
自らSNSで発信している例が、どこにあるのか。
全国平均を見ても、
- 住民税非課税層は 2割前後
- 3割超は 明らかに突出
しかも多くの自治体は、
- 数字を出すなら
- 背景
- 原因
- 中長期戦略
を必ずセットで説明する。
今回はどうか。
数字だけが放り投げられ、
戦略は一切語られていない。
同じではない。
圧倒的に雑で、無防備だ。
反論④
「支援策を批判するのはおかしい。やらないよりマシだ」
典型的な論点ずらしだ。
誰も
「支援するな」
などとは言っていない。
問題にしているのは、
- この深刻な数字に対して
- この程度の支援で済ませ
- しかも危機感を示していない
という点だ。
「やっているから批判するな」という論理は、
行政にとって最も危険な甘えである。
反論⑤
「個人のFBなんだから大げさに騒ぐな」
これも通用しない。
書かれている内容は、
- 市の予算
- 市議会への上程
- 支援人数
- 実施時期
完全な行政情報だ。
しかも発信者は、
舞鶴市の最高責任者。
個人FBかどうかは関係ない。
市長が語った行政情報は、市長発信である。
反論⑥
「ネガティブなことを書くと舞鶴のイメージが悪くなる」
順序が逆だ。
イメージが悪くなる原因は、
- 問題を指摘することではない
- 問題を放置することだ
しかも今回は、
ネガティブな数字を最初に全国発信したのは市長本人
である。
市民やオンブズマンが
それを分析し、問い直すことは、
街を守る行為であって、貶める行為ではない。
結論:市長は「本当のこと」を言った・・・だからこそ、もう逃げられない
ここまで厳しいことを書いてきた。
だが最後に、一つだけはっきり評価しておくべきことがある。
市長は、
多くの首長が決して口にしない「不都合な数字」を、自らの言葉で公表した。
住民税非課税・家計急変世帯、約24,100人。
舞鶴市民の約3人に1人。
この数字は、
市民オンブズマンが暴いたものでも、内部告発でも、外部メディアのスクープでもない。
市長自身が、
市長自身の判断で、
市長自身のSNSで出した数字だ。
それは確かに、
都市イメージを傷つけ、
政策の矛盾を露呈させ、
多くの波紋を生んだ。
しかし同時に、
これほど正直な首長発信が、
どれほどあるだろうか。
「見て見ぬふり」をしなかった、その一点だけは評価できる
多くの自治体は、
数字が悪くなればなるほど、
- 言葉を濁し
- 表現を薄め
- 原因を外に求める
その中で市長は、
逃げなかった。
結果として、
舞鶴の厳しい現実が
白日の下にさらされた。
これは、
改革のスタートラインに立った
ということでもある。
ただし、正直さは「免罪符」にはならない
ここが重要だ。
正直であることと、
責任を果たすことは、
まったく別である。
数字を出した以上、
- なぜ、こうなったのか
- どこで間違えたのか
- 何を変えるのか
を語る義務が生じる。
市長は、
あえて最も厳しいカードを切った。
だからこそ、
最も重い説明責任を背負った。
これは批判ではない。
期待だ。
舞鶴は、まだ引き返せる
市民の3人に1人が低所得。
この現実は重い。
だが、
- 現実を認め
- 原因を直視し
- 構造にメスを入れれば
街は変えられる。
市長がやったことは、
その第一歩になり得る。
あとは、
この数字を“通過点”にできるか、
“墓標”にしてしまうか。
それを決めるのは、
市長自身であり、
行政であり、
そして市民だ。
最後に
この数字を出した以上、
市長にはもう一つの選択肢しか残っていない。
逃げずに語り、
逃げずに変えること。
それができたとき、
このFB投稿は
「失策」ではなく、
舞鶴再生の起点だったと評価されるだろう。
市長が、
その役割を引き受ける覚悟があるのか。
市民は、
今まさにそれを見ている。

