源泉交游さんの投稿です。

「茶坊主」の本質と秘密主義

“ぷくぷくコンビ”達は、前市長からの「お下がり」であった。しかもその役割はカリスマ的な前市長の「茶坊主」に過ぎなかった。

それがいきなり「茶坊主」から市政運営の幹部に取り立てられ、本人たちは”戸惑い“と”感激“の中でこの四年間、今日まで市政の中心で励んできたことだろうと想像できる。

しかしそれは、”ぷくぷくコンビたち”のワンダーランド化の下地となり、市政に混乱と無秩序を呼び込むこととなったようだ。

「負けに不思議の負けなし」との野村克也語録を借りれば、市政「混乱の原因」にはそれ相応の原因があると言う事である。

「茶坊主」は所詮「茶坊主」。

”理念”なきままに、或いは”理念”は後回しにして行動することが多く、その行動基準(「茶坊主」の性)は、えてして“実利”を優先する行動にならざるを得ないものとなってしまう危険をはらんでいる。

故に、“己の実利”を第一にした元「茶坊主」たちのはしゃぎが政策の中で、理念は希薄化する反面、“実利”優先の政策や行動が最優先となり、市政に混乱をもたらしていると指摘することが出来る。

大切な“秩序や理念”の統率はなおざりにされて、政治(市政)の混乱を来すこととなり、政治は矮小化され、「不都合な事実」を覆い隠す為に、更に秘密主義がはびこると言う悪循環となって来たようだ。

例えば、市議会におけるポンプ場工事保障問題の審議の様子においても、副市長の謝罪と反省で議事が完了したこととなっているが、結局のところ肝心の具体的内容は不明のままであり、市民から見れば議員が市政をチェックしていると言うより、当局が「俺様が謝っているのだから文句を言わず了承しろ」と暗に議会に迫る副市長の強引さに、市議側がひれ伏す構図であり、この姿勢は「親分・子分の世界」の様に見えるだけで、肝心の詳しい内容は闇の中である。

また、『広報まいづる』においても、毎年、五月号には4月の定期人事異動の動向が掲載されるのが通例であるが、今年は五月号にも六月号更に七月号にも人事異動の記事は記載されておらず、市政を担う具体的な実務担当責任者(主に部長クラス)不明のまま政策が動いて行くと言う不思議な世界を現出している。

なぜなのだろうか?

古来より「政治は人」と言われてきたが、最も大切な人事のことにベールを掛けてしまう「当局の非常識」は論外である。

例えば、良し悪しは別にしても、同じ自民党でも石破総理と高市総理では、その見える景色は別物であるのと同じで、政策責任者の顔までも秘密にし、その代わりかどうかは知らないが、六月号『広報まいづる』では「中央図書館設計事務所の所長」と言う市域外の“外部者”の、「早く中央図書館の工事を発注せよ」との趣旨を掲載して建設工事を催促しているが、このことは「利益相反」も考えられる建設関係業者の意向を『広報』とする非常識であり、この「認知戦」の仕掛けは、当局と関係業者との“癒着”現象の結果であろうと思われる。

これは公平を旨とする広報活動に水を差す行為であり、編集責任者の見識が問われる問題でもあり、『広報』のあり方までもが問われる事例でもあると思う。

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